離れていると、食事の様子は分からないままになる
一緒に暮らしていないというだけで、
分からなくなることがあります。
何を食べているのか。
ちゃんと温かいものを口にしているのか。
食事の時間が、どんなふうに過ぎているのか。
連絡をすれば聞ける。
そう分かっていても、
聞かないままの日が続きます。
離れていると、食事の様子は、
分からないままになる。
見えないことに、慣れたつもりでいる
最初の頃は、もう少し頻繁に気になっていました。
でも日が経つにつれて、
こちらの生活も回り始めます。
仕事をして、家のことをして、
自分の夕飯を作って、片づけて。
一日が終わる頃には、頭がいっぱいです。
「見えないのが当たり前」
そう思っているつもりで、
気持ちも少しずつ落ち着いていく。
たぶん、慣れてきたのだと思います。
それでも、慣れきれない夜がある
ただ、ふとした夜に、
思い出すように気になるときがあります。
特別な出来事はないのに。
連絡が来たわけでもないのに。
何かが引っかかる。
冷蔵庫を開けたとき。
スーパーの惣菜コーナーを通ったとき。
テレビで誰かがごはんを食べている場面を見たとき。
生活の中の些細な場面で、
“向こうの食事”を想像してしまいます。
分からないまま、という状態そのもの
分からないことが怖い、というより。
分からないままが続くことに、
少しずつ慣れてしまうのが怖い。
気にしていないわけではないのに、
確認しないまま日が過ぎていく。
この「情報がない」状態が、
離れて暮らすということの現実なのだと思います。
一緒に住んでいない。
それだけで、食事の様子は見えなくなる。
そして、見えないことは、簡単には埋まりません。
聞けばいいのに、聞かない理由
もちろん、連絡すれば聞けます。
「何食べた?」と一言送れば済む。
でも、聞かない日があるのは、
相手の生活に踏み込みたくない気持ちもあるし、
こちらの都合で安心したいだけにもなりたくないからです。
それに、返事が来なかったら、
余計に落ち着かなくなる気もします。
だから、聞けない。
そしてまた、分からないままになる。
この気持ちは、あとから形になることがある
何もしないままの夜が続いて、
それでも気がかりが消えないとき。
ある日ふと、
「何か送っておこうかな」と思うことがあります。
すぐに大げさなことをするわけではなく、
日持ちするものを少し。
食べやすいものを少し。
あるいは、忙しい時期に合わせて、
宅配のごはんを数食だけ手配してみたり。
“見守り”という言葉が重たく感じるなら、
まずは小さな安心を増やすだけでもいい。
この「分からないまま」の夜が、
仕送りや宅配、見守りにつながる前の、
静かな感情の下地になっている気がします。
見えないまま、続いていく
離れて暮らしていると、
食事の様子は、どうしても分からないままになります。
それはもう、そういうものだと分かっているのに、
完全に慣れてしまうことも、なかなかできません。
気になる日もあれば、
一日なにも思わずに過ぎる日もある。
その繰り返しのまま、時間が流れていきます。