ごはんとわたしの365日

「ごはんとわたしの365日」は、 毎日の暮らしのなかで、 食のことを、少しだけ立ち止まって考える場所です。 宅配弁当のこと。 無理をしない食事の選び方。 心と体の調子を整える、習慣のこと。 365日、わたしとごはんが 静かにつながっていく、その途中の記録です。

冷凍ごはんの数で、一週間を考えることがある

冷凍ごはんの数で、一週間を考えることがある|冷凍庫に並ぶ冷凍ごはんを見ながら来週の食事を考える夜の台所風景

夕飯のあと、冷凍庫を開けました。

氷を取り出そうとしただけだったのですが、奥に並んだ冷凍ごはんが目に入りました。

数えてみると三つ。

ひとつは少し小さめ。

もうひとつは、いつ包んだものだったか少し曖昧です。

それを見ながら、なぜか一週間のことを考えていました。

今週は何回ごはんを炊くだろう。

冷や麦の日もあるかもしれない。

うどんで済ませる日もあるかもしれない。

冷凍ごはんの数で、一週間を考えることがあります。

そんな夜の話です。

冷凍ごはんのストックが三つ残っていた

冷凍ごはんのストックが三つ残っていました。

冷凍庫の中では特別多いわけではありません。

でも、何もない状態とは少し違います。

朝ごはんにひとつ使えば残りは二つ。

母の昼ごはんに回せば、もうひとつ減る。

夕飯にも使えば、その日のうちになくなるかもしれません。

数としては小さなものです。

それでも冷凍ごはんのストックがあるだけで、一週間のごはんを少し考えやすくなります。

今週はどこでごはんを炊こうか。

週末まで持つだろうか。

そんなことを考えながら冷凍庫を見ていました。

三つという数は、多いようで少ない。

少ないようで、少し頼もしい。

そんな数です。

炊飯した日の習慣

ごはんを炊いた日は、残った分を冷凍保存しています。

作り置きというほど大げさなものではありません。

ただ、その日のうちに小分けして冷凍庫へ入れておく習慣があります。

茶碗一杯分くらい。

少し小さめのもの。

母用に少なめにすることもあります。

平日の夕飯や昼ごはんに使えるので、冷凍ごはんを常備しておくと少し気が楽になります。

以前は特に考えずに包んでいました。

でも最近は量を見るようになりました。

多すぎると残る。

少なすぎると足りない。

そのちょうどいいところを、少しずつ覚えている途中です。

最近は冷凍ごはん用の保存容器を使う日もあります。

電子レンジでそのまま温められるので便利です。

ラップで包む日もありますが、保存容器のほうが冷凍庫の中を整理しやすい気がしています。

どちらが正解というより、その日の台所の流れで使い分けています。

冷凍庫の中にも予定が入っている

冷凍ごはんは毎日使うわけではありません。

でも、冷凍庫に常備してあると「今日はごはんを炊かなくても大丈夫」と思える日があります。

その安心感も含めて、冷凍保存を続けているのかもしれません。

一人分なら、もっと単純だったと思います。

自分が食べるか、食べないか。

それだけで決まります。

でも今は少し違います。

母の昼ごはんもあります。

味噌汁と一緒に少しだけごはんが欲しい日もある。

おかずが残っているから、ごはんだけ温めればいい日もあります。

そんな日を考えると、冷凍ごはんの数え方も少し変わります。

今週は足りるだろうか。

明日炊いたほうがいいだろうか。

冷凍庫を開けるたびに、小さな予定を立てています。

関連記事:

👉 ごはんを炊いた日は、少し得をした気がする

👉 冷凍ごはんが残っていると、少し安心する夜がある

まとめ

冷凍ごはんの数で、一週間を考えることがあります。

大げさな予定ではありません。

ただ、残り三つを見ながら明日と明後日のごはんを少し思い浮かべるだけです。

ごはんを炊く日。

冷や麦にする日。

母の昼ごはんに使う日。

そうやって考えていると、冷凍庫の中にも一週間の気配があるように感じます。

次にごはんを炊いたときも、たぶん少し多めに残しておくと思います。

冷凍ごはんのストックが多い週もあれば、少ない週もある。

そのくらいのゆるさで、今週も冷凍庫を開けています。

冷蔵庫に卵があると安心する

冷蔵庫に卵があると安心する|卵が残る冷蔵庫と朝の台所

朝ごはんのあと、冷蔵庫を開けました。

特に探し物があったわけではありません。

麦茶のポットを戻そうとしただけです。

そのとき、卵のパックが目に入りました。

まだ五つほど残っています。

それを見て、少し安心しました。

理由はよく分かりません。

今日の献立が決まったわけでもない。

何か作る予定があるわけでもありません。

それでも、卵が残っているのを見ると気持ちが落ち着く朝があります。

冷蔵庫に卵があると安心する。

そんなことを思った朝でした。

使う予定がなくても買ってしまう

スーパーへ行くと、卵売り場を見ます。

特売の日もあります。

値段が少し上がっている日もあります。

その日の買い物メモに書いていなくても、手に取ることがあります。

豆腐や小松菜は、その週によって買ったり買わなかったりします。

でも卵だけは、気づくと買い物かごに入っています。

使う予定が決まっているわけではありません。

卵焼きかもしれない。

目玉焼きかもしれない。

炒め物に少し入れるだけかもしれません。

何になるか分からないけれど、あれば何とかなる。

そんな感覚があります。

だから冷蔵庫に残っていると、少し安心するのかもしれません。

朝ごはんの景色にあるもの

母の朝ごはんにも卵がよく登場します。

ごはんと味噌汁。

そこに卵焼きが一切れあるだけで、いつもの朝になります。

派手なものではありません。

特別な料理でもない。

でも食卓に並んでいると落ち着きます。

昔から見慣れている景色だからかもしれません。

朝の台所で卵を割る音を聞くと、一日が始まる感じがします。

気がつけば、そんな朝を長く続けています。

冷蔵庫の中の小さな安心

冷蔵庫にはいろいろなものが入っています。

その日に使う予定のもの。

週末用に買ったもの。

残り物もあります。

でも卵は少し違います。

予定がなくても置いてある。

何に使うか決まっていなくても残してある。

たぶん食材というより、暮らしの中の予備に近いのだと思います。

今日は何も作らないかもしれない。

それでも卵があるだけで安心する。

不思議ですが、そういうものがあります。

買い忘れた朝に気づくこと

反対に、卵がない朝もあります。

冷蔵庫を開けて、空の卵ケースを見つける。

その瞬間に「あ、なかったんだ」と気づきます。

困るわけではありません。

豆腐もあります。

納豆もあります。

朝ごはんは作れます。

それでも少しだけ心細い。

なくなって初めて、頼りにしていたことに気づく食材なのかもしれません。

関連記事:

👉 気づけば毎週、同じものを買っている

👉 献立より先に特売を見るようになった

まとめ

冷蔵庫に卵があると安心する朝があります。

特別な理由はありません。

何かを作る予定があるわけでもない。

それでも、残っているのを見ると少し落ち着きます。

来週もたぶん卵を買うと思います。

特売だったからかもしれません。

習慣だからかもしれません。

理由は分からないけれど、冷蔵庫を開けたときに見えると安心する。

そんな朝が続いています。

買う予定のなかった大葉を手に取った日

買う予定のなかった大葉を手に取った日|初夏のスーパーで見つけた大葉と買い物かご

夕飯の支度をしようと思って買い物袋を開けた。

豆腐と卵を冷蔵庫へ入れたあと、大葉が一袋出てきた。

買ったことは覚えているのに、いつ買い物かごへ入れたのか少し曖昧だった。

買う予定ではなかったのに

その日は特に献立を決めていたわけではなかった。

冷蔵庫にはまだ食材も残っていたし、豆腐と卵くらい買えば十分だと思っていた。

仕事帰りのスーパーは少し混んでいて、いつものように売り場を一周した。

魚を見て、野菜を見て、総菜売り場も通り過ぎる。

その途中で大葉が目に入った。

特売でもなかったし、安かったわけでもない。

だから、なぜ買ったのかと聞かれると少し困る。

ただ、その時は何となく手に取った。

冷奴にのせてもいいし、そうめんの薬味にしてもいい。

そんなことを考えたのかもしれないし、考えていなかったのかもしれない。

買い物をしていると、時々そういうことがある。

必要だから買うものもあれば、理由を説明しにくいまま買うものもある。

家に帰って袋から取り出した大葉を見て、売り場の景色を少し思い出した。

きゅうりやトマトが並び、その近くに大葉やみょうがが置かれていた。

それを見ているうちに、気づけば買い物かごへ入れていたらしい。

その日の夕飯はいつもと変わらなかった。

それでも大葉が一袋あるだけで、食卓に少しだけ季節が混ざった気がした。

食卓に季節が混ざる

大葉は野菜室へ入れた。

そのまま忘れそうになったけれど、翌日の昼に思い出した。

冷や麦を茹でることにした日だった。

きゅうりはあった。

大葉もあった。

みょうがはなかった。

それでも十分だった。

数枚取り出して細く刻く。

冷や麦の上にのせる。

それだけのことなのに、食卓の景色が少し変わった。

母は特に何も言わなかった。

いつもの昼ごはんだったし、冷や麦も珍しくない。

でも、大葉の香りが加わると、少しだけ季節が近づいた気がした。

スーパーの売り場で見た景色も思い出す。

きゅうりが並び、トマトが並び、その近くに大葉やみょうがが置かれていた。

買う予定はなかったのに、あの売り場の前で少し立ち止まった。

そして気づけば買い物かごへ入っていた。

理由は今もよく分からない。

でも、そういう買い物は嫌いではない。

あとから思い返すと、その日の売り場や食卓の景色まで一緒に残っていることがある。

関連記事:

👉 冷や麦をゆでる日が増えてきた|スーパーと薬味で感じる初夏の食卓

👉 気づけば毎週、同じものを買っている

まとめ

その日は豆腐と卵だけ買うつもりだった。

それなのに帰宅すると、大葉も一緒に冷蔵庫へ入っていた。

特別な料理を作ったわけではない。

冷奴にのせたり、冷や麦に添えたり。

使ったのはほんの数枚だった。

それでも、買う予定のなかった大葉があるだけで、その週の食卓は少し違って見えた。

野菜室には、まだ大葉が少し残っている。

来週また買うかどうかは分からない。

でも次にスーパーへ行ったときも、たぶん一度は売り場を見ると思う。

そのとき手に取るのが大葉なのか、みょうがなのか。

それは、その日の買い物かごが決めるのかもしれない。

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献立より先に特売を見るようになった

献立より先に特売を見るようになった|スーパーの買い物かごと初夏の食材

6月に入って、スーパーの入口近くに並ぶ野菜が少し変わってきた。

きゅうりやトマトを見かけることが増えて、売り場にはとうもろこしも並び始めている。

仕事帰りに買い物へ行く。以前は何を作るか考えてから売り場を回っていたのに、最近は特売の札を先に見ていることがある。

最初に見るのは献立ではなくなった

スーパーへ入ると、まず野菜売り場へ向かう。

今日は何が安いだろう。

そんなことを思いながら売り場を一周する。

昔は献立を決めてから買い物へ行くことが多かった。

肉じゃがを作ろうと思えば、じゃがいもと玉ねぎを買う。

焼き魚なら魚売り場へ向かう。

そんな順番だった気がする。

最近は少し違う。

特売のきのこを見て、それを使うことにする。

豆腐が安ければ冷奴か味噌汁になる。

鶏肉が安ければ、それが夕飯の中心になる。

先に献立がある日もあるけれど、売り場を歩きながら決まる日の方が増えた。

だから買い物かごの中身も、その日によって少し違う。

何を作るかより、何が並んでいるか。

そんな順番になっていることに最近気づいた。

決めないまま歩く日もある

仕事が終わった夕方は、頭の中も少し疲れている。

今日は何を作ろうか。

そう考えながらスーパーへ入ることもあるけれど、最後まで決まらない日もある。

そんな日は売り場を見ながら考える。

安かった小松菜。

値引きになっていた魚。

特売の豆腐。

気づけば、それらが夕飯になっている。

母も同じものを食べるので、食べやすそうかどうかは自然と考える。

柔らかいもの。

あっさりしたもの。

温かい汁物に合いそうなもの。

特別なことではない。

売り場を歩きながら、なんとなく選んでいるだけだ。

それでも食卓にはちゃんとごはんが並ぶ。

献立を先に決めなくても、夕飯はできあがるらしい。

最近はそんな日が少し増えた。

関連記事:

👉 スーパーに行かない日が、いちばん気持ちが軽い|無理しない夜ごはんの話

👉 夕飯を一品減らしたら、続けやすくなった

まとめ

昔は献立を決めてから買い物をしていた気がする。

今は特売の札を見てから考える日も多い。

その日の売り場に並んでいるものを見て、夕飯が決まる。

良いとか悪いとかではなく、ただ少し順番が変わった。

来週もきっと同じようにスーパーを歩くと思う。

そのとき安く並んでいるものが何かは分からない。

でもたぶん、その売り場を見ながら夕飯を考えているのだろうと思う。

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ごはんを炊いた日は、少し得をした気がする

6月の朝は、炊飯器の湯気が少しだけうれしく感じます。

窓を開けると湿った風が入ってきて、台所には炊きたてのごはんの香りが残っていました。

母はまだ居間で新聞を読んでいます。

私は湯のみを並べながら、ごはんを茶碗によそいました。

特別な朝ではありません。

でも、ごはんを炊いた朝は少し気分が違います。

ごはんを炊いた日は、少し得をした気がする。

そんなことを思う日があります。

炊きたてを食べて、少し残す

最近は一度に少し多めに炊くことがあります。

朝ごはんを食べる分。

昼や夜に回せる分。

そして冷凍しておく分。

炊飯器の中にごはんが残っていると、なんとなく安心します。

食べ終わったあと、まだ少し残っている。

それだけのことなのに、気持ちに余裕ができます。

冷凍用の容器に移したり、ラップに包んだり。

慣れてしまえば数分で終わる作業です。

何かを頑張ったわけではありません。

でも、その日の自分より少し先のことを考えた気がします。

だからなのか、ごはんを炊いた日は少し得をしたような気分になります。

お金の話ではありません。

時間なのか、安心なのか。

うまく説明できないけれど、そんな感覚があります。

冷凍ごはんは特別な備えではない

冷凍ごはんを作るために炊飯しているわけではありません。

ごはんを炊いた結果として、少し残る。

その流れのほうが近い気がします。

だから冷凍庫の中にも、いつも同じ量があるわけではありません。

多い週もあれば、ほとんど残っていない週もあります。

それでも時々、冷凍庫を開けてごはんの包みが並んでいるのを見ると少し安心します。

未来の自分が使うかもしれないもの。

そんな距離感で置いてあります。

最近使っている保存容器

冷凍ごはん用の保存容器をいくつか使っています。

そのまま電子レンジで温められるもの。

重ねて収納しやすいもの。

特別なものではありません。

でも毎週使うものなので、扱いやすい形だと続きやすくなります。

関連記事:

👉 冷凍ごはんが残っていると、少し安心する夜がある

👉 冷凍ごはんを減らしたい夜と、残しておきたい夜つ

母も昔から同じことをしていた

子どもの頃を思い出すと、母もよくごはんを冷凍していました。

当時は特に気にしていませんでした。

炊いたごはんを小分けにしていたことも、当たり前の景色でした。

今は自分が同じことをしています。

ごはんをよそって。

残った分を包んで。

冷凍庫へ入れる。

暮らしの中では小さなことです。

でも、そういう小さな習慣が毎日を回しているのだと思います。

季節が変わっても。

スーパーに並ぶ野菜が変わっても。

炊きたてのごはんを少し残しておく流れだけは、あまり変わりません。

それは備えというより、暮らしの癖に近いのかもしれません。

まとめ

ごはんを炊いた日は、少し得をした気がします。

たくさん炊いたわけでも、節約を頑張ったわけでもありません。

ただ、炊きたてを食べて、少し残しておく。

その流れがあるだけで、どこか安心します。

来週もたぶん同じように炊飯器のふたを開けると思います。

冷凍庫の中身は増えたり減ったりするでしょう。

それでも、ごはんを炊いた朝の気分だけは、しばらく変わらない気がしています。