夜になると、
一日の終わりが、いつもより早く来るように感じることがあります。
その日の体調で、食事の負担が大きく感じる日があります。
作ること自体が、少し重たいと感じる日も。
そんなとき、
無理をしない選択肢として、
冷凍や宅食を取り入れてきました。
「冷凍しておけば安心」
以前は、その言葉を、
ほとんど疑わずに使っていた気がします。
食べているのに、減らない
ちゃんと食べています。
冷凍庫の中のものも、少しずつ。
それなのに、
なぜか、減っていく感じがしない。
開けるたびに、
「まだこんなにある」と思ってしまう。
使っていないわけではないのに、
減らない。
入る量のほうが、出る量より多い
よく考えてみると、
入ってくる量のほうが、
出ていく量より多い状態が続いていました。
備えとして入れたもの。
安心のために足したもの。
その一つ一つは、
間違っていなかったはずなのに、
気づけば、
「減らす努力」が必要な場所に変わっていました。
減らすために、考えなければならない違和感
本来は、
助けてくれるはずのもの。
それが、
「どう減らすか」を考えさせる存在になる。
この感覚に、
少しだけ違和感を覚えました。
冷凍しておけば安心、のはずが、
いつの間にか、
判断の対象になっている。
結局、全部は片づかなかった
整理しようと思った日もありました。
順番を考えた日も。
でも、
結局、全部は片づかなかった。
冷凍庫の中も、
気持ちの中も。
やり残したものが、
少しだけ残ったままです。
「まあ、いいか…」と思えた夜
全部を終わらせるのは、
今日は無理だと分かったとき。
ふと、
「まあ、いいか…」と口にしていました。
諦めというより、
これ以上、自分を急かさない選択。
冷凍庫を閉めて、
今日はここまでにする。
判断疲れの入口に立っている
冷凍しておけば安心、と思っていた頃は、
判断の余力が、まだ残っていたのだと思います。
今は、
一日の終わりに、
これ以上、選ばないことを選ぶ。
それは、
判断疲れの入口に立っているサインかもしれません。
まとめ|安心の形は、ひとつじゃない
冷凍しておけば安心、と思っていた頃の話。
それは、
間違いではありませんでした。
ただ、
今の生活には、
少し合わなくなってきただけ。
全部が片づかなくても、
結論が出なくても、
今日は、
このまま夜を閉じていきます。