
冷蔵庫を開ける。
白菜がある。
豆腐もある。
味噌汁に使えそうな長ねぎも残っていた。
何もないわけではない。
むしろ夕飯の材料としては十分だったと思う。
それなのに、その日は冷蔵庫を閉めた。
しばらくして、また開ける。
何か探しているわけではない。
ただ、まだ決まっていなかった。
2月の夕方には、そんな日がある。
決まらないまま時間だけが過ぎる
鍋でもいい。
魚を焼いてもいい。
味噌汁を作って、ごはんをよそってもいい。
候補はいくつか浮かぶ。
でも、どれにするかが決まらない。
洗濯物を取り込む。
お湯を沸かす。
母の様子を見る。
そのたびに、また夕飯のことを思い出す。
料理を始める前なのに、少し疲れている。
その日の重さは、作ることより決めることの方にあった気がした。
夕飯は、いつの間にか始まる
結局その日は、白菜と豆腐を鍋にした。
長ねぎを切って、鍋に入れる。
ごはんをよそって、お茶をいれる。
夕飯が始まってしまえば、特別なことはありません。
食べる時間は、案外あっという間です。
だからこそ不思議に思います。
どうして夕方になると、あんなに何度も考えてしまうんだろうと。
最近は、夕飯を作ることよりも、決めることのほうが長く感じる日があります。
冷凍庫を開けたら、そこで決まる日がある
夕方になると、また献立のことを考えてしまう。
そんな日でも、冷凍庫に宅配ごはんが入っていると少し違います。
何種類か並んでいる中から一つ選ぶ。
それだけで、その日の夕飯が決まる。
白菜を使うかどうか。
魚を焼くかどうか。
そういうところまで戻らなくて済む日があります。
夕飯を作る手間よりも、決める手間が軽くなる。
私には、そのほうが助かることがありました。
何も起きていないのに疲れている夜
忙しかった日だけではありません。
特別な出来事があったわけでもない。
体調が悪いわけでもない。
でも、夕方になると何となく動きが鈍い日があります。
冷蔵庫を開けても献立が浮かばない。
買い物へ行くほどではないけれど、考えるのも少し面倒。
そんな夜に宅配ごはんがあると、夕飯のことをいったん終わりにできます。
考え続けなくていいだけで、気持ちが少し静かになります。
あたためるだけの日を残しておく
家に帰ったら手を洗う。
お湯を沸かす。
冷凍庫を開ける。
そういう流れだけを残しています。
余裕があれば味噌汁を添える。
時間がなければ、そのまま食卓へ出す。
完璧な夕飯ではありません。
でも、その夜を必要以上に疲れさせないためには、それで十分な日もあります。
毎日じゃなくても助かる
宅配ごはんは毎日使うものだと思っていた時期がありました。
でも実際は違いました。
週に何回か。
冷凍庫に数食あるだけ。
それだけでも気持ちは変わります。
使わないまま一週間が過ぎることもあります。
それでも、あると思えるだけで助かる夜がありました。
まとめ
夕飯を作ることより、夕飯を決めることのほうが疲れる日があります。
冷蔵庫を何度も開けてしまう日。
献立が決まらない日。
そんな夜に宅配ごはんは特別なものではなく、ひとつの選択肢として置いてあります。
あたためるだけで夕飯が始まる。
その安心があるだけで、夕方の時間が少し静かになります。