ごはんとわたしの365日

「ごはんとわたしの365日」は、 毎日の暮らしのなかで、 食のことを、少しだけ立ち止まって考える場所です。 宅配弁当のこと。 無理をしない食事の選び方。 心と体の調子を整える、習慣のこと。 365日、わたしとごはんが 静かにつながっていく、その途中の記録です。

離れて暮らす家族のごはんを、ふと思い出す夜がある

離れて暮らす家族のごはんを、ふと思い出す夜がある

夜になって、ひと息ついた頃。
テレビをつけるほどでもなく、スマホを見るほどでもない時間に、
なぜか、離れて暮らす家族の顔が浮かぶことがあります。

今日は何かあったわけでもない。
連絡が来たわけでも、心配になる出来事があったわけでもない。

それでも、夕飯の時間になると、
「ちゃんと食べているかな」という考えが、静かに頭をよぎります。

特別な出来事は、何も起きていない

忙しい日常の中では、離れて暮らす家族のことを
意識しない時間のほうが、きっと多いはずです。

仕事をして、家のことをして、
自分の一日を終わらせるだけで精一杯の日もあります。

でも、なぜか夜だけは違う。
ごはんを食べる頃になると、
ふと、向こうの食卓を想像してしまう。

何を食べているのか。
一人で簡単に済ませていないか。
面倒で、抜いてしまっていないか。

距離があるから生まれる、断続的な気がかり

一緒に暮らしていれば、見えること。
声をかければ済むこと。

でも、離れていると、それができません。

だからこそ、気がかりは断続的になります。
ずっと心配しているわけではないけれど、
ふとした瞬間に、思い出してしまう。

それは不安というほど強くなく、
罪悪感とも、心配とも、少し違う感情です。

「何かしなきゃ」と思うほどでもない。
でも、「何も思わない」こともできない。

「何かする」前に、思い出してしまう瞬間

仕送りを考えるほどではない日。
宅配を手配するほど差し迫ってもいない日。

それでも、夜になると、
「今日はどうしているんだろう」と考えてしまう。

この段階では、まだ行動はありません。
ただ、気持ちが一瞬、向こうに向くだけ。

でも、この「一瞬」が、あとから何かにつながっていくことがあります。

あとから、自然につながっていくもの

少し余裕のある週末に、
「何か送ろうかな」と思ったり。

忙しい時期に、
「宅配ごはん、使ってもらうのもありかも」と考えたり。

あるいは、
「ちゃんと食べてる?」と、短いメッセージを送るだけの日もあります。

どれも、大きな決断ではありません。
この夜の、ささやかな気がかりが、
感情の下地になっているだけです。

何もしない夜も、無駄ではない

結局、その日は何もしないことも多いです。
連絡もしない。手配もしない。

でも、それでいい夜もあります。

離れて暮らす家族のことを、
思い出してしまったという事実だけが、
静かに残る夜。

それは、心配しすぎでも、冷たいわけでもなく、
ただ、距離のある関係が続いている証のようなものかもしれません。

このカテゴリでは、
そんな夜から、少しずつつながっていく話を、
置いていこうと思います。