夜になると、
頭の中で「今日のごはん」を考え始める前に、
もう体のほうが先に疲れていることがあります。
帰りが遅くなると、夕飯まで気が回らない日があります。
簡単に済ませたい気持ちと、ちゃんと食べたい気持ちがぶつかります。
その間を埋める方法として、宅食を見直しました。
ただ、同じ流れで冷凍庫を開けたとき、
ふと、こんな感覚が残る夜がありました。
冷凍ごはんを、「使う前提」で保存していない気がする。
今日は、味や便利さというより、
保存の奥にある気持ちの話です。
食べる予定が、曖昧なまま
冷凍ごはんは、
たいてい「余ったから」包んだものです。
炊きたてを食べて、
残りをラップで包んで、
冷凍庫に入れる。
そこまでは、自然にできます。
でも、そのときの私は、
「いつ食べよう」とまでは決めていない。
来週のどこかで使うかもしれないし、
明日の朝に食べるかもしれない。
予定は曖昧で、
どこか他人事みたいなまま、
冷凍庫に入れている感じです。
目的より、安心が先に立つ
冷凍ごはんがあると、
それだけで少し安心します。
「何もないわけじゃない」
「いざとなったら、これがある」
そんな気持ちが、
冷凍庫の中に置かれているみたい。
だから、使うかどうかよりも、
“あること”が大事になっている夜があります。
冷凍ごはんを作った自分を、
ちゃんとしているように感じられる、
その感覚のほうが先に立つ。
そして、
使わないままでも、
安心だけは残ってしまう。
保存=準備とは限らない
保存しているのだから、
本当は「使うため」なのだと思います。
でも、気持ちの上では、
準備というより、避難場所を作っている感じ。
今日の夕飯を決めきれないときに、
“ここに逃げられる”場所があるだけで、
少し息がしやすくなる。
冷凍ごはんは、
食べものでもあるけれど、
わたしにとっては、
気持ちの保険にもなっています。
「使う前提」にすると、急に重くなる
冷凍ごはんを、
「使う前提」で保存しようとすると、
急に話が変わります。
日付を書いたほうがいいかな。
何個あるか把握したほうがいいかな。
減らす順番も決めたほうがいいかな。
そう考え始めた瞬間、
冷凍ごはんが“管理”になってしまう。
その管理を、
今の自分が抱えられるかどうか。
だから、
最初からきっちり「使う前提」にせず、
曖昧なまま保存しているのかもしれません。
減らないことが、少しだけ気になる
もちろん、冷凍庫を開けるたびに、
「あ、また減ってない」と思うことはあります。
食べればいいのに。
使えばいいのに。
そう思いながら、
結局その日は、別のものを選ぶ。
冷凍ごはんは、
そのまま、冷凍庫の奥に残ります。
でも、減らないことよりも、
“あるのに使えない自分”を見てしまうほうが、
ちょっとだけ気になる夜があります。
使うかどうかは、その日の余力でいい
冷凍ごはんは、
使うためにある。
そう分かっていながら、
それを毎回ちゃんと実行できるかは、別です。
「今日の余力」が少ない日は、
使うかどうかを考えること自体が、
ひとつの負担になります。
だから、
使う前提を強くしすぎず、
“あるだけで助かる”日があってもいい。
今は、そう思っています。
まとめ|保存の中に、気持ちが混ざっている
冷凍ごはんを「使う前提」で保存していない気がする夜。
それは、
食べる予定が曖昧なまま、
目的より安心が先に立って、
保存が準備になりきれていない、ということかもしれません。
これを整えるべきかどうかは、
今日は決めません。
結論は出さず、
冷凍庫にある安心を、
今夜はそのまま置いておきます。