ごはんとわたしの365日

「ごはんとわたしの365日」は、 毎日の暮らしのなかで、 食のことを、少しだけ立ち止まって考える場所です。 宅配弁当のこと。 無理をしない食事の選び方。 心と体の調子を整える、習慣のこと。 365日、わたしとごはんが 静かにつながっていく、その途中の記録です。

冷凍ごはんがあるのに、炊いてしまう日がある

冷凍ごはんが残っているのにお米を炊く暮らしの風景

炊飯器のふたを閉めて、スタートボタンを押した。

そのあとで、冷凍庫にごはんが残っていたことを思い出した。

ラップに包んだごはんがいくつかある。

温めればすぐ食べられる。

それなのに、その日はお米を研いでいた。

1月の夜は早い。

外はもう暗くて、台所には味噌汁の湯気が上がっていた。

大根の煮物を温めながら、炊飯器の表示を見る。

急ぐ必要はなかったはずなのに、なぜか炊いていた。

冷凍庫にごはんは残っている

冷凍庫を開ければ、ごはんはちゃんとある。

炊いた日のことも何となく覚えている。

夕飯の残りだったかもしれないし、お弁当用だったかもしれない。

どちらにしても、食べるために冷凍したものだ。

だから本来なら、それを温めれば十分だったと思う。

でも、その日は冷凍ごはんに手が伸びなかった。

理由があるようで、よく分からない。

ただ米びつを開けて、お米を量っていた。

炊飯器が動いている夜

お米を研ぐ。

水を入れる。

炊飯ボタンを押す。

やっていることはいつもと同じだ。

効率だけを考えれば、冷凍ごはんの方が早い。

洗い物も増えない。

それでも冬の夜に炊飯器が動いていると、少し落ち着くことがある。

湯気の立つ味噌汁。

煮物の鍋。

炊き上がるまでの時間。

その日はごはんを食べるためというより、そんな台所の時間が欲しかったのかもしれない。

気分と段取りのズレ

冷凍ごはんは、
「今すぐ食べられる」安心があります。

でも、炊飯には、
「少し待つ」時間があります。

その待ち時間が、
今日はなぜか、ちょうどよかった。

夕飯を急いで決めたくない気分。
すぐに食べ始めるより、
一度、時間を挟みたい気持ち。

段取りとしては遠回りなのに、
気分としては、そっちが自然でした。

理屈では説明できない日常

「冷凍があるのに炊くなんて、無駄だよね」

そう言われたら、
たぶん、うまく言い返せません。

無駄かどうか、というより、
今日はそうしたかった。

それだけの理由が、
日常には普通にあります。

効率だけで動けない夜。
正しさより、落ち着く方を選びたい夜。

それも、生活の中に混ざっています。

炊ける匂いが、少しだけ気持ちを整える

炊飯器のふたが、
小さく「カチッ」と鳴って、
静かに動き出します。

台所に立っているわけでもないのに、
「ごはんが炊ける」という予定が、
部屋の空気に置かれる感じがしました。

炊ける匂いがしてくるころ、
心の中のざわつきが、
少しだけ小さくなっていました。

冷凍ごはんにはない、
この「整う感じ」が、
今日は欲しかったのかもしれません。

冷凍ごはんは「保険」で、炊飯は「儀式」みたいな日

冷凍ごはんがあるのは、安心です。

それは、困ったときの保険みたいなもの。

でも、炊飯は、
安心というより、
自分を落ち着かせる小さな儀式みたいになる日があります。

炊くこと自体が目的ではなく、
炊く時間が、気持ちの置きどころになる。

今日は、そういう夜でした。

結局、冷凍は減らないまま

炊きあがったごはんをよそいながら、
ふと、冷凍庫のことが頭をよぎります。

「あ、また減らなかった」

そんな気持ちも、少しはあります。

でも、今日は、
そのことを責めるほどの余力もありませんでした。

減らない日が続くことも、
生活のリズムの中では、よくあること。

冷凍庫は、
今日のわたしの矛盾を、
黙って受け止めているだけです。

まとめ|炊いてしまう夜も、暮らしのうち

冷凍ごはんがあるのに、炊いてしまう日。

効率だけなら、
たぶん、炊かないほうがいい。

それでも炊いてしまうのは、
気分と段取りがズレているというより、
気分に段取りを合わせ直しているのかもしれません。

正解は出さず、
今夜はただ、
炊けたごはんを食べて、
一日を終えます。