冷凍ごはんがある。
それだけで、今日は少しラクになるはず。
そう思っているのに、解凍のボタンを押す気力が出ない夜があります。
お腹は空いている。
食べたほうがいいのもわかっている。
でも、冷凍庫を開けて、ラップの端を探して、
レンジに入れて、温まるのを待つ。
その一連が、今日は遠い。
たぶん、数分の話です。
理屈では説明できないくらい、小さな段取り。
それなのに、体が「今日はここまで」と言っているみたいな夜。
便利なはずなのに、動けない矛盾
冷凍ごはんは便利です。
炊かなくていい。洗い物も増えにくい。
なのに、解凍する気力がない。
この矛盾は、たぶん珍しくないのだと思います。
「やることは少ないはず」なのに、動けない。
気分と段取りが、噛み合わない。
体が疲れているときって、
大きな作業より、細かい手順のほうが重たく感じることがあります。
一歩ずつの“つなぎ”が、途切れがちになる。
気分と段取りがズレると、夕飯が止まる
食事の準備って、材料より先に「始める」を決めないと動けません。
冷凍ごはんは、その「始める」を助ける存在のはずなのに、
ズレが大きい日は、そこでも止まります。
「今日はもう、食べなくてもいいか」
そう思ってしまうほどじゃない。
でも、ちゃんと用意する気力もない。
その間の宙ぶらりんにいる時間が、
いちばん消耗するのかもしれません。
解凍しない日もある、という前提で
解凍の気力が出ない夜が続いたとき、
「冷凍ごはんを必ず食べる」という前提を、
少しゆるめてみることにしました。
冷凍ごはんがあると、
それを使わなきゃ、と思ってしまいます。
でも、そう思うほど手が止まる日もあります。
だから、解凍できない日用に、
別の入口を用意しておく。
まずは、常温でそのまま食べられるものを少し。
豆腐や納豆、缶詰、ヨーグルト、果物。
火もレンジも使わない食事を、
ちゃんと選択肢として置いておく。
それだけで、
「冷凍ごはんがあるのに」という引っかかりが、
少し小さくなります。
冷凍ごはん自体も、
一回分を小さくしておくと、取りかかりやすい。
一膳ではなく、半分から始められる形にしておくと、
気持ちの準備がいらない夜もあります。
うまく動けない日も、たまにはある
動けない日は、
理由を考えすぎると、かえって疲れてしまいます。
「冷凍ごはんがあるのに」
「これくらいできそうなのに」
そんな言葉が頭に浮かぶ夜もあります。
最近は、そういう日は無理に説明をつけず、
「今日はそういう日」と、そのまま置くようにしています。
解凍できない夜があっても、
それはそれでいい。
冷凍ごはんは、助けになる存在だけれど、
必ず使わなければいけないものでもない。
そんな距離感で考えると、少し楽になります。
宅食という、迷わない入口
そういう夜に、宅食を思い出すことがあります。
冷凍庫から取り出して温める、という点では似ていても、
気持ちの入り方が少し違う。
献立が決まっていて、
組み合わせを考えなくていい。
その分、動き出しやすい夜があります。
冷凍ごはんが悪いわけでも、
宅食が特別というわけでもなくて。
その日の気分に合う入口を、
いくつか用意しておく、という感覚です。
まとめ:少し噛み合わない夜も、そのままで
冷凍ごはんがあるのに、解凍する気力が出ない夜。
便利さと行動が、少し噛み合わない日があります。
気分と段取りがずれると、
夕飯の始まりが遅くなることもある。
それを、がんばって埋めようとしなくてもいい。
解凍しない夜の入口を、いくつか置いておく。
冷凍ごはんを「使わなきゃ」にしない。
宅食という道も、静かに残しておく。
そんなふうに考えられると、夜が少し軽くなります。