ごはんとわたしの365日

「ごはんとわたしの365日」は、 毎日の暮らしのなかで、 食のことを、少しだけ立ち止まって考える場所です。 宅配弁当のこと。 無理をしない食事の選び方。 心と体の調子を整える、習慣のこと。 365日、わたしとごはんが 静かにつながっていく、その途中の記録です。

冷凍ごはんがあると安心するけど、減らない日が続く

冷凍ごはんがあると安心するけど減らない日が続く冬の台所と食卓の風景

夕飯の支度をする前に、冷凍庫を開けた。

ラップに包んだごはんがいくつか並んでいる。

どれも自分で冷凍したものだ。

食べるつもりだったことは覚えている。

ただ、思ったより減っていない。

1月の夜は寒い。

その日はかぼちゃの煮物とほうれん草のおひたしが残っていた。

温かいほうじ茶を入れながら、冷凍庫の中を少し眺める。

ごはんはある。

でも、その日の夕飯では使わない気がしていた。

冷凍庫の中に残っている

冷凍ごはんは、炊きすぎた日の残りだったりする。

夕飯のあとに包んで、そのまま冷凍庫へ入れる。

そうすると少し安心する。

だからまた炊いて、また包む。

気づけば冷凍庫の中に同じような形のごはんが並んでいる。

減らそうと思っているわけではない。

増やそうと思っているわけでもない。

ただ、その日の夕飯を作っているうちに、また一つ増えることがある。

味噌汁の湯気や煮物の鍋を見ながら、そんなことを思い出した。

でも、なかなか減らない

安心している一方で、
冷凍庫の中身は、
あまり変わりません。

作れる日は、
結局そのまま作ってしまう。

今日はこれを使おう、
と思いながら、
結局、別のものを選ぶ。

減らないごはんを見て、
「うまく回っていないのかな」と、
少しだけ考えてしまいます。

冷凍ごはんは、食材というより保険

冷凍ごはんを、
毎日の主役として考えると、
使えない日が続くのは、
もったいないことのように感じます。

でも、
ふと思いました。

これは、
食材というより、
保険に近いのかもしれない。

使わない日が続くからこそ、
「備えとして機能している」
とも言えます。

わたしは、減らそうとして疲れていた

わたしは、
冷凍ごはんを見て、
「ちゃんと使わなきゃ」と思っていました。

使い切ることが、
正解のような気がして。

でも、
使えなかった日が続いたからといって、
何かが失敗したわけではありません。

むしろ、
「今日はこれに頼らなくても大丈夫だった」
という日が、
続いていただけかもしれません。

減らないことが、悪いわけじゃない

減らない冷凍ごはんは、
見方によっては、
安心が続いている証でもあります。

使わなかった日も、
無駄ではなかった。

その存在が、
選択肢を増やしてくれていた。

今日は使わない、
という判断も、
ひとつの使い方だったのかもしれません。

まとめ|減らない安心を、そのままに

冷凍ごはんがあると安心する。
でも、使い切れない日が続く。

その矛盾は、
きっと、
どちらかが間違っているわけではありません。

減らないままでも、支えてくれているもの
が、暮らしの中にはあります。

今日はまだ、
このままで。

結論は出さず、
冷凍庫の奥にある安心を、
そのまま残しておこうと思います。