ごはんとわたしの365日

「ごはんとわたしの365日」は、 毎日の暮らしのなかで、 食のことを、少しだけ立ち止まって考える場所です。 宅配弁当のこと。 無理をしない食事の選び方。 心と体の調子を整える、習慣のこと。 365日、わたしとごはんが 静かにつながっていく、その途中の記録です。

毎日ちゃんと作れない日があっても、朝はちゃんと来る

朝になると、
昨夜のことが、
少し遠くに感じられることがあります。

うまく作れなかった日も、
途中で力尽きた日も、
それでも、朝はちゃんと来る。

今日は、
毎日ちゃんと作れない日があっても、朝はちゃんと来る
そんな当たり前のようで、
少しだけ救われる感覚の話です。

できない日がある前提で

毎日ちゃんと作れる人なんて、
たぶん、そう多くはありません。

それでも、
「今日はできなかった」という事実は、
どこか心に残ります。

一日だけなら、
「まあ、そんな日もある」と思える。

でも、
それが続きそうな気配を感じた瞬間、
少し不安になることがあります。

許しどころが、分からない

今日はいい。
今日は仕方ない。

そう言いながら、
心のどこかで、
「どこまでなら許していいんだろう」と考えています。

一度ゆるめたら、
戻れなくなるんじゃないか。

ちゃんとしていた自分が、
遠ざかってしまうんじゃないか。

そんな想像が、
頭をよぎる朝もあります。

「今日はいい」が続くことへのプレッシャー

昨日も作らなかった。
今日も、作らないかもしれない。

それ自体は、
大きな問題ではないはずなのに、

「このままで大丈夫かな」
「流れができてしまわないかな」

そんなふうに、
連続性のほうが気になってくる。

行動よりも、
意味づけのほうが、
重くなっている感覚です。

サボりと休息の境目

休んだつもりでも、
サボっている気がする。

サボっているつもりはないのに、
言い訳しているように感じる。

その境目は、
誰かが決めてくれるものではなく、
自分の中にしかありません。

だからこそ、
はっきり線を引けないまま、
朝を迎えることがあります。

朝の光が、台所に入ってくる

カーテンを少しだけ開けると、
白っぽい朝の光が、
台所の床に細く伸びていました。

昨夜のことを引きずったままでも、
流し台はいつもと同じ場所にあって、
コップも、布巾も、
何事もなかったように並んでいます。

お湯を沸かす音と、
窓の外を通る車の気配。

特別な朝ではないけれど、
「もう一度やり直していい」と、
言われているような気がしました。

昨日の評価も、
自分への採点も、
この光の中では、
いったん脇に置かれているようでした。

今はただ、
朝が来たという事実だけが、
静かにそこにあります。

まとめ|問いのまま、朝を始める

毎日ちゃんと作れない日があっても、
朝はちゃんと来る。

それを、
前向きだとも、
甘えだとも、
今日は決めません。

「このくらいでいいのかな」
という問いを、
そのまま持ちながら、

とりあえず、
今日の朝を始めています。