ごはんとわたしの365日

「ごはんとわたしの365日」は、 毎日の暮らしのなかで、 食のことを、少しだけ立ち止まって考える場所です。 宅配弁当のこと。 無理をしない食事の選び方。 心と体の調子を整える、習慣のこと。 365日、わたしとごはんが 静かにつながっていく、その途中の記録です。

冷や麦をゆでる日が増えてきた|スーパーと薬味で感じる初夏の食卓

冷や麦をゆでる日が増えてきた|スーパーと薬味で感じる初夏の食卓

6月にはいり、スーパーの麺売り場が少し変わります。
冷や麦やそうめんが並び始めて、大葉やみょうが、新しょうがも目につくようになりました。

まだ梅雨入り前なのに、売り場だけは少し先の季節へ進んでいるようです。

そんな景色を見ていると、わが家でも冷や麦をゆでる日が増えてきます。

特別好きというわけではありません。

それでも毎年、この時期になると自然に手が伸びます。

買う予定がなくても足が止まる

その日も、夕飯の材料を買いにスーパーへ行きました。

肉売り場を見て、野菜を見て、いつものように歩いていたのですが、冷や麦の棚の前で足が止まりました。

食べる予定はありません。

でも、一袋くらい買っておこうかなと思う。

冬の間は見向きもしなかったのに、不思議なものです。

季節が変わると、買い物かごの中身も少しずつ変わります。

薬味のことを考える

冷や麦を食べる日は、薬味も気になります。

大葉。
みょうが。
ねぎ。

冷蔵庫に何が残っていたか思い出しながら歩きます。

薬味があるだけで、同じ冷や麦でも少し違って見えるからです。

昔は薬味なんてなくても平気だったのに、最近は先にそちらを考えるようになりました。

大きな鍋を出す季節になる

冷や麦の日は、大きめの鍋を出します。

冬の煮込み料理とは違う鍋です。

たっぷりお湯を沸かして、麺を入れて、時間を見ながらゆでる。

その間に薬味を切ったり、麦茶を注いだりする。

台所の動き方も少し変わります。

季節は気温だけではなく、使う道具からも分かるのだと思います。

食卓が少し軽くなる

冷や麦の日は、食卓の雰囲気も変わります。

炊きたてのごはんが中心の日とも違うし、鍋料理の日とも違います。

冷や麦を盛って、薬味を並べて、あとは冷蔵庫の残りもの。

トマトやきゅうりがあれば十分な日もあります。

それなのに、物足りなさはあまり感じません。

暑くなり始めた頃には、そのくらいがちょうどいい気がします。

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冷や麦を見ると季節を思い出す

冷や麦は特別なごちそうではありません。

でも毎年同じ頃になると売り場に並びます。

そして、そのたびに手が伸びる。

季節の行事ほど大げさではなくても、暮らしの中には毎年繰り返していることがあります。

冷や麦をゆでる回数が増えてくると、今年もそんな時期になったのだと思います。

まとめ|冷や麦をゆでる日が増えてきた

冷や麦は特別なごちそうではありません。

それでも、この時期になると自然に手が伸びます。

大葉を買ったり、みょうがを刻んだり、
大きな鍋を出したり。

そんなことを繰り返しているうちに、
いつの間にか季節が変わっています。

今年もそろそろ、冷や麦がおいしい時期になりそうです。

何かあったら連絡が来る、と自分に言い聞かせる夜

何かあったら連絡が来る、と自分に言い聞かせる夜|温かいお茶と静かな夜の時間

6月の夜は、窓を少し開けているだけで風が入ってきます。

夕飯の片づけを終えて、湯のみをひとつ流しに置きました。

温かいほうじ茶を入れて、しばらく座る。

そんな時間が増える季節です。

最近は電話の回数も少なくなりました。

以前なら何気なく話していたことも、今はしばらく連絡しないまま過ぎていくことがあります。

それでも、ときどき離れて暮らす家族のことを思い出します。

今日の夕飯は何だっただろう。

暑い日が続くから、そうめんでも茹でているのかな。

そんなことを考えながら、お茶を飲んでいました。

何かあったら連絡が来る。

私はたぶん、その言葉をどこかで信じながら暮らしているのだと思います。

見えていないだけで、考えることはある

離れて暮らしていると、毎日の様子は分かりません。

冷蔵庫に何が入っているのか。

最近はどこのスーパーへ行っているのか。

ちゃんと食べているのか。

分からないことはいくらでもあります。

だからといって、毎日聞くわけでもありません。

気にならないわけではない。

でも、ずっと気にしているわけでもない。

夕飯のあと、お茶を飲みながら思い出すことがある。

今は、そのくらいの距離感で過ごしています。

連絡がない日が続いても

以前は、もう少し気にしていた気がします。

電話がない日が続くと気になったり。

返事が遅いと何度も画面を見たり。

でも最近は少し変わりました。

夜になっても連絡がない。

それなら今日は何事もなかったのだろう。

そう思う日が増えました。

もちろん本当のところは分かりません。

それでも、今はそう考えるようにしています。

何かあったら連絡が来る。

その言葉を、時々自分の中で繰り返しています。

スーパーで立ち止まることがある

そうめんが並び始める季節になると、食品売り場の景色も変わります。

ゼリー。

レトルトのおかゆ。

常温で置いておけるスープ。

そんな棚の前で立ち止まることがあります。

買う予定はなかったはずなのに、少し気になる。

送るほどではない。

でも気にならないわけでもない。

そんな感覚が残ります。

暑くなると少し思い出す

ニュースで暑さの話題が続く日があります。

最高気温が30度を超えたとか。

熱中症に気を付けましょうとか。

そんな話を聞くと、ふと思い出します。

ちゃんと食べているかな。

冷たいものばかりになっていないかな。

そう考えたあとで、お茶をひと口飲む。

それ以上は考えないようにしています。

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見えていないだけで消えてはいない

毎日連絡を取るわけではありません。

食事の話をすることも減りました。

それでも気に掛ける気持ちは残っています。

スーパーで食品を見るとき。

季節の果物を見かけたとき。

そうめん売り場の前を通ったとき。

そんな小さな場面で思い出します。

大きな心配ではなく、暮らしの延長にある気掛かり。

今はそのくらいの距離感になりました。

まとめ

何かあったら連絡が来る。

今はそう思いながら過ごしています。

本当にそうかどうかは分かりません。

でも、そう思うことで自分の暮らしも続けられる気がしています。

そうめんや果物を見かけるたびに少し思い出す。

そんな静かな距離感が、今のわが家にはちょうどいいのかもしれません。

 

食事の支度を休みたい、と思った朝のこと

食事の支度を休みたい、と思った朝のこと|朝の台所で少し手をゆるめたくなった日の暮らし

6月の朝は、少し湿った空気で始まります。

窓を開けると風は入るけれど、台所に立つともう少しだけ暑い。

その日は、いつもより早く目が覚めました。

先にほうじ茶をいれる。

湯気の立つ湯のみを持ちながら、炊飯器のふたを開ける。

冷蔵庫には卵があって、豆腐も残っていました。

朝ごはんには困らない。

いつものような朝です。

味噌汁を作ろうかなと思いながら、しばらく台所に立っていました。

母はまだ居間に来ていません。

家の中も静かでした。

それなのに、その日は手が動きませんでした。

作れないわけではありません。

作ろうと思えば作れる。

ただ、少しだけ思ったのです。

今日は食事の支度を休みたいなと。

何もしない朝が少し長かった

その日は、すぐに味噌汁を作りませんでした。

先にほうじ茶を飲む。

窓の外を見る。

テーブルの上を片づける。

そんなことをしているうちに時間が過ぎていきます。

冷蔵庫の中には食材があります。

何もないわけではありません。

だから困っているわけでもない。

でも、その日は少しだけ台所から離れていたかった。

そんな朝でした。

投げ出したいわけではなかった

朝ごはんを食べ終わったあと、湯のみだけがテーブルに残っていました。

洗おうと思えばすぐ洗えます。

でも、その日はしばらくそのままにしていました。

窓から入る風が少し湿っています。

6月らしい朝でした。

食事の支度を休みたい。

そう思ったけれど、全部やめたいわけではありません。

今日のごはんを放り出したいわけでもない。

ただ、少しだけ手をゆるめたい。

そんな気持ちでした。

朝のうちから始まっていること

食事の支度は、台所に立つ前から始まっています。

冷蔵庫に何が残っていたか。

今日の気温なら何を食べやすいか。

買い物へ行く必要はあるだろうか。

そういうことを、知らないうちに考えています。

気づけば朝から何度もごはんのことを思い出している。

作る時間より、その前の時間のほうが長い日もあります。

少しだけ頭を休ませる

その日は冷蔵庫を開けませんでした。

先にほうじ茶をいれる。

新聞をめくる。

窓の外を見る。

ごはんのことを考えない時間は短かったけれど、それだけで少し落ち着きました。

何かを解決したわけではありません。

ただ、一度だけ頭を別の場所へ向けたかった。

そんな朝でした。

家にあると安心するもの

最近は、冷凍庫の中に少し余白を残しています。

冷凍ごはんの日もある。

残り物の日もある。

そして宅配ごはんの日もあります。

どれかひとつを選べるだけで、気持ちは少し違います。

今日はこれでいい。

そう思えるものがあると、朝から考え続けなくて済む日があります。

毎日使わなくてもいい

宅配ごはんは毎日のためではありませんでした。

むしろ、たまに使うくらいがちょうどいい。

頑張れる日は普通に作る。

少し休みたい日は頼ってみる。

そのくらいの距離感が、今の暮らしには合っています。

冷凍庫に入ったままの日もあります。

でも、それでいいと思っています。

「今日はこれでいい」と言える朝

以前は、ちゃんと作るか、作らないかで考えていました。

でも最近は違います。

今日はこれでいい。

そう思える朝があるだけで十分です。

食事の支度を休むことは、食べることをやめることではありません。

続けるために少し力を抜くこと。

そんな日があってもいいのだと思っています。

まとめ

食事の支度を休みたいと思った朝がありました。

投げ出したいわけではなく、少しだけ息をつきたかった。

ほうじ茶を飲みながら座っていた朝のことを、今も覚えています。

最近は、そんな日のために宅配ごはんを置いています。

毎日ではなくてもいい。

休みたい気持ちを責めないだけで、台所へ向かう足取りが少し軽くなることがあります。

 

夕飯を考えない時間が、少しほしいと思った日

6月に入ると、夕方になっても外がまだ明るい。

窓を開けると、少し湿った風が入ってきます。

その日は帰りにスーパーへ寄りました。

豆腐ときゅうり。

冷たい麺でもいいかなと思いながら歩いていました。

特別忙しかったわけではありません。

体調が悪いわけでもない。

ただ、家に着いたとき、すぐに冷蔵庫を開けませんでした。

先に麦茶を注いで、しばらく椅子に座る。

夕方の光がまだ残っています。

母は居間でテレビを見ていました。

そのまま少しだけ何も考えない時間が続く。

そしてふと、思いました。

夕飯のことを考えない時間が、少しほしいなと。

まだ決めなくてもいい夕方

いつもなら冷蔵庫を開けます。

何が残っていたか。

何を先に使ったほうがいいか。

頭の中で献立を組み立て始める。

でも、その日は違いました。

麦茶を飲みながら窓の外を見る。

遠くで車の音が聞こえる。

それだけの時間です。

夕飯を作りたくないわけではありません。

買い物も済んでいる。

作ろうと思えば作れる。

ただ、その前にある

「何にしよう」

を少し休みたかった。

そんな夕方でした。

夕飯は、いつの間にか始まっている

夕飯を作ろうと思う前から、頭のどこかでは始まっています。

スーパーで見た特売の野菜。

朝のうちに冷凍庫へ入れたもの。

帰り道に思い出した豆腐。

そういう小さなことが、夕方になると少しずつ集まってきます。

家に着くころには、もう夕飯のことを考えている。

包丁を持つ前から始まっている時間が、案外長いのかもしれません。

冷蔵庫を開けても決まらない

冷蔵庫を開ける。

卵がある。

きゅうりもある。

豆腐も残っている。

何もないわけではありません。

むしろ夕飯になりそうなものは揃っています。

それなのに、その日は扉を閉めました。

しばらくして、また開ける。

中身はさっきと同じです。

変わっていないのに、もう一度見てしまう。

決まらないのは献立というより、自分の気持ちのほうだったのかもしれません。

麦茶を飲みながら座っていた

その日は、先に麦茶を飲みました。

夕方の明るさがまだ少し残っています。

母は居間でテレビを見ていました。

窓の外では車の音が聞こえる。

それだけの時間です。

夕飯を作りたくないわけではありません。

でも、その前にある「何にしよう」を少し休みたかった。

ただそれだけでした。

考えなくていい日を置いてみる

その頃から、冷凍庫の中を少し見直すようになりました。

冷凍ごはんの日もある。

残り物の日もある。

そして、宅配ごはんの日もある。

毎日ではありません。

でも、今日はこれにしようと思えるものが一つあると、夕方の景色が少し変わります。

冷蔵庫の前で立ち止まる時間が短くなる日があります。

使わなくても安心する

不思議なのは、使わない日も多いことです。

冷凍庫に入ったまま一週間が過ぎることもあります。

それでも、あると思うだけで少し安心する。

今日は考えなくても大丈夫。

そう思える日があるだけで、気持ちは少し違います。

使うためというより、置いておくためにある。

そんな感覚に近いのかもしれません。

考えない時間があると戻ってこられる

夕飯のことを考えない日が一日ある。

すると次の日は、普通に台所へ立てたりします。

冷蔵庫を開けて、味噌汁を作る。

魚を焼く。

そんないつもの流れが戻ってくる。

ずっと休みたいわけではありません。

ただ、ときどき一回だけ休みたい。

そういう日があるだけでした。

まとめ

夕飯を考えない時間が、少しほしいと思った日がありました。

作りたくないのではなく、考えたくなかった。

冷蔵庫を開ける前に、少しだけ頭を休ませたかった。

最近は、そんな日のために宅配ごはんを置いています。

毎日使うわけではありません。

でも、今日は考えなくてもいいと思える日があるだけで、夕方が少し静かになります。

 

昔は買っていたのに、最近見なくなったもの

六月に入って、スーパーの売り場も少しずつ夏らしくなってきました。
そうめんや冷や麦の棚を眺めながら歩いていると、ふと気づくことがあります。

昔はよく買っていたのに、最近は見なくなったものがある。

特別な話ではありません。
でも、そのことが少し気になりました。

買わなくなったことに気づく

昔は当たり前のように買っていたものがあります。

気づけばカゴに入っていて、特に理由もなく食卓に並んでいたもの。

ところが最近、その姿を見ていません。

嫌いになったわけではありません。
食べられなくなったわけでもない。

ただ、買わなくなった。

それだけのことなのに、少し不思議でした。

理由は思い出せない

なぜ買わなくなったのか考えてみました。

家族の人数が変わったからかもしれない。
食べる量が変わったからかもしれない。

あるいは、別のものを選ぶようになっただけかもしれません。

でも、はっきりした理由は思い出せませんでした。

いつからか自然に買わなくなって、気づいたら食卓から消えていた。

暮らしの変化というのは、案外そんなものなのかもしれません。

買い物かごには暮らしが残る

スーパーで買い物をしていると、自分の生活が少し見えてきます。

よく買うもの。
必ず買うもの。
なんとなく手が伸びるもの。

反対に、昔は買っていたのに最近見なくなったものもあります。

買い物かごの中身は、その時々の暮らしを映しているのかもしれません。

毎週同じような買い物をしているつもりでも、少しずつ変わっています。

食卓も少しずつ変わっていた

考えてみれば、食卓も同じです。

昔よく作っていたもの。
今はあまり作らなくなったもの。

逆に、以前はなかったのに今ではよく登場するもの。

変わった瞬間は覚えていません。

でも、長い時間をかけて少しずつ入れ替わっていたのでしょう。

毎日のごはんは繰り返しのようでいて、実は同じではありません。

思い出すのは味より景色

面白いことに、昔買っていたものを思い出すとき、味より先に景色が浮かびます。

食卓の様子だったり。
買い物帰りの袋だったり。

誰がいたのか。
どんな季節だったのか。

そんなことのほうが記憶に残っています。

食べ物というより、その頃の暮らしを思い出しているのかもしれません。

なくなったわけではなく、離れただけ

昔買っていたものは、今も売り場にあります。

なくなったわけではありません。

ただ、自分の生活から少し離れただけ。

そう考えると、少し気が楽になります。

また買う日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

どちらでもいいような気がしました。

まとめ

昔は買っていたのに、最近見なくなったものがあります。

その理由は、よく分かりません。

でも、その小さな変化の中に、今までの暮らしが残っている気がしました。

毎日の買い物は同じようでいて、少しずつ変わっています。

そして、その変化に気づいたとき、昔の食卓や季節を思い出すことがあります。

スーパーの売り場を歩きながら、そんなことを考えた日でした。