ごはんとわたしの365日

「ごはんとわたしの365日」は、 毎日の暮らしのなかで、 食のことを、少しだけ立ち止まって考える場所です。 宅配弁当のこと。 無理をしない食事の選び方。 心と体の調子を整える、習慣のこと。 365日、わたしとごはんが 静かにつながっていく、その途中の記録です。

スーパーの話が、ごはんの話になる

スーパーの話が、ごはんの話になる|買い物帰りの台所と初夏の食卓

6月に入って、スーパーに並ぶ野菜が少しずつ変わってきた。

きゅうりやトマトが増えて、とうもろこしも見かけるようになった。

仕事帰りに買い物をしていると、気づけば夕飯の話になり、そのまま母のごはんのことを考えている。

スーパーで見ているのは値段だけではない

昔はスーパーに行くと、自分が食べたいものを中心に見ていた気がする。

今日は何を食べようか。

何が安いだろうか。

そんなことを考えながら買い物かごに入れていた。

最近は少し違う。

魚売り場を見ながら、「これは母でも食べやすそうだな」と思う。

豆腐売り場では、冷奴にするか味噌汁に入れるかを考える。

総菜コーナーを通ると、煮物やひじきを見て立ち止まることもある。

買うかどうかは別として、一度考える。

スーパーを歩いている時間なのに、頭の中は食卓の景色になっている。

何を買うかよりも、誰が食べるかを考える時間が増えた気がする。

それがいつからだったのかは、よく覚えていない。

ただ最近は、スーパーの話とごはんの話が自然につながっている。

買い物かごの中に季節が入る

この時期になると、そうめんやひやむぎが売り場の前の方に並ぶ。

大葉やみょうがも目につくようになって、買い物をしながら季節が少し進んだことを知る。

昼間は暑くても、夕方になると意外と涼しい日がある。

そんな日は、麺は冷たくしても、つゆは温かいままにすることがある。

スーパーを歩きながら、今日は何を食べようかと考える。

同時に、母が食べやすそうなものも自然と目に入る。

豆腐だったり、白身魚だったり、やわらかく煮られそうな野菜だったり。

特別なことではない。

買い物かごに入れるかどうか迷いながら、売り場を行ったり来たりしているだけだ。

それでも、以前より食卓のことを考える時間は増えた気がする。

スーパーで見ているものと、家で食べるものが、前より近くなった。

誰かのために買い物をしているつもりはないけれど、気づけばそういう選び方になっている。

季節が変わるたびに、買い物かごの中身も少しずつ変わっていく。

関連記事:

👉 母の夕飯を考えるとき、「前と同じ」でいいのか迷うようになった

👉 「やわらかいほうがいいのかな」と考えるようになった頃

まとめ

仕事帰りにスーパーへ寄る。

野菜を見て、魚を見て、総菜を見て歩く。

その時間の中で、自然と夕飯のことを考えている。

自分のためのごはんだった頃とは、少し違う景色になった。

来週もたぶん同じようにスーパーへ行くと思う。

並んでいる野菜は少し変わるかもしれない。

でもまた気づけば、ごはんのことを考えながら売り場を歩いているのだろうと思う。

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朝ごはんだけは昔から変わらない

朝ごはんだけは昔から変わらない|ごはんと味噌汁のある初夏の朝

6月の朝は少し早く明るくなります。

窓を開けると、まだ涼しい風が入ってきました。

お湯を沸かして、ほうじ茶を入れる。

そんな朝の始まりは、昔からあまり変わっていません。

季節は変わります。

暮らしも少しずつ変わります。

息子が大きくなって、母も年齢を重ねました。

食べる量も、食卓の会話も少しずつ変わっています。

それでも朝ごはんだけは、昔からあまり変わらない気がします。

朝ごはんだけは昔から変わらない。

そんなことを思った朝でした。

ごはんと味噌汁の朝

今朝も炊飯器のふたを開けました。

湯気が少し上がります。

味噌汁を温めて、ごはんをよそう。

小さな梅干しをひとつ。

冷蔵庫にあるものを少し添える。

特別な朝ごはんではありません。

旅館のような朝食でもない。

でも、それで十分です。

パンの朝もあります。

果物だけの日もあります。

それでも気がつくと、ごはんと味噌汁の朝に戻っています。

忙しい朝も。

少しゆっくりできる朝も。

同じような流れで始まることが多い。

たぶん味そのものより、朝のリズムになっているのだと思います。

味噌汁の湯気を見ていると、一日が始まる感じがします。

変わったものと変わらないもの

若い頃は朝ごはんを食べない日もありました。

仕事へ急いで出掛ける日もあった。

コンビニで済ませることもありました。

それでも今振り返ると、朝に温かいものを食べると落ち着く感覚は昔から同じだった気がします。

食べるものは少しずつ変わりました。

買うものも変わりました。

でも朝ごはんに求めるものは、それほど変わっていないのかもしれません。

お腹を満たすこと。

少し落ち着くこと。

それだけで十分だったりします。

最近よく飲んでいるお茶

朝ごはんのあとに温かいお茶を飲むことがあります。

最近はほうじ茶が多くなりました。

香りが強すぎず、朝にも飲みやすい気がします。

季節が進むと冷たい飲み物も増えます。

それでも朝だけは温かいお茶を選ぶ日が多い。

慌ただしく始まる日でも、お茶を飲む時間が少しあるだけで気持ちが落ち着きます。

関連記事:

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👉 母が少ししか食べない日の夕飯

母の朝ごはんを見ていて思うこと

母も朝ごはんはしっかり食べます。

昼や夜は少なめの日もあります。

でも朝だけは、きちんと席に座って食べています。

ごはんを食べながら天気の話をする。

スーパーへ行く途中で見かけた紫陽花の話をする。

そんな時間が続いています。

食卓の景色は昔と少し変わりました。

でも朝ごはんの時間だけは、どこか同じまま残っている気がします。

母がいて。

ごはんがあって。

味噌汁がある。

それだけのことなのに、不思議と安心します。

季節は変わります。

スーパーに並ぶ野菜も変わります。

でも朝ごはんだけは、ゆっくり同じ場所にいるような感じがします。

まとめ

朝ごはんだけは昔からあまり変わっていません。

ごはんと味噌汁の日もあれば、少し違う日もあります。

それでも気がつくと、同じような朝の景色に戻っています。

来週もたぶん同じように炊飯器のふたを開けるのだと思います。

季節は少しずつ進みます。

紫陽花ももう少し色づくでしょう。

それでも朝ごはんだけは、これからもしばらく変わらない気がしています。

「今日も夕飯か…」と思ってしまう自分に、少し戸惑う

「今日も夕飯か…」と思ってしまう自分に、少し戸惑う|初夏の夕方、台所でひと息つく時間

6月に入ると、夕方になっても外がまだ明るく感じます。

スーパーの入口には、そうめんや冷やし中華の棚が並び始めました。

仕事帰りに立ち寄ると、きゅうりや豆腐がよく売れているように見えます。

その日も、豆腐と豆乳を買いました。

値引きシールの付いたお惣菜もひとつ。

何を作るか決めていたわけではありません。

買い物かごに入れながら考えようと思っていたのですが、結局そのまま家まで帰ってきました。

冷蔵庫を開けると、小松菜が少し残っています。

卵もある。

冷凍ごはんもある。

何もないわけではありません。

むしろ、食べるものはちゃんとあります。

それなのに、その日はふと思いました。

今日も夕飯か。

そんな言葉が頭をよぎった夜でした。

料理が嫌いになったわけではない

料理そのものが嫌いになったわけではありません。

旬の野菜を見るのは好きですし、スーパーを歩くのも嫌いではありません。

時間がある日は、少し手を掛けたものを作りたくなることもあります。

だから、作ることが嫌なのではないのだと思います。

朝ごはんを片づけて。

昼ごはんを考えて。

気づけば夕飯の時間が近づいてくる。

その流れが毎日続いているだけ。

たぶん疲れていたのは料理ではなく、考えることのほうでした。

冷蔵庫の中を見て。

何を作るか決めて。

足りないものを思い出して。

そんな小さな判断が重たく感じる日があります。

だから最近は、お惣菜を一品足したり、冷凍していたものを使ったりする日も増えました。

それで特別なことは起きません。

家族は普通に食べています。

食卓も、いつも通りです。

食卓は同じようで、少しずつ変わっている

母と夕飯を食べていると、季節の話になることがあります。

最近は梅の話でした。

スーパーに青梅が並び始めたこと。

近所の紫陽花が色づいてきたこと。

そんな話をしながらごはんを食べます。

私は味噌汁をよそって、ごはんをよそう。

母は窓の外を見ながら、「もうそんな時期か」と言います。

食卓の景色は昔とそれほど変わっていません。

でも、気づかないうちに少しずつ変わっているのだと思います。

以前は母がやっていたことを、今は私がしている。

ごはんを炊くことも。

買い物へ行くことも。

冷蔵庫の中を気にすることも。

特別な話ではありません。

毎日の暮らしの中で、少しずつ役割が移ってきただけです。

だから夕方になると、ときどき思います。

今日も夕飯の時間が来るんだな、と。

それは嫌というより、毎日続いている暮らしを思い出すような感覚でした。

関連記事:

👉 夕飯を一品減らしたら、続けやすくなった

👉 夕飯を作る気力がなくなっていた夜

まとめ

夕飯は毎日やってきます。

明日もたぶん同じように冷蔵庫を開けて、ごはんのことを考えるのだと思います。

少し気が重い日もあります。

何を作ろうか考えるのが楽しい日もあります。

その違いの理由は、まだよく分かりません。

ただ最近は、「今日も夕飯か」と思う日があることに気づきました。

それでも季節は少しずつ進んでいきます。

来週には、スーパーに並ぶ野菜も少し変わっているかもしれません。

そんなことを思いながら、今夜も食卓を片づけました。

夕飯を一品減らしたら、続けやすくなった

6月の朝は、少し早く目が覚める日があります。

窓を開けると、湿った風がゆっくり入ってきました。

お湯を沸かして、温かいほうじ茶を入れる。

まだ家の中は静かで、母も起きていません。

そんな朝に、ふと昨夜の夕飯のことを思い出しました。

最近、夕飯を一品減らすことがあります。

以前なら何か足さなければ落ち着かなかったのに、今は少し考え方が変わりました。

夕飯を一品減らしたら、続けやすくなった。

今日はそんな話です。

一品足すことばかり考えていた頃

以前は、夕飯を考えるたびに品数を気にしていました。

主菜があって。

副菜があって。

汁物もあったほうがいい。

野菜ももう少し欲しい。

そんなふうに考えていた時期があります。

冷蔵庫を開けるたびに、「何かもう一品作れそうなものはないかな」と探していました。

きゅうりがあれば和え物。

小松菜があればおひたし。

豆腐があれば冷奴。

作れないわけではありません。

少し手を動かせばできることばかりです。

でも、その少しが重たく感じる日もあります。

仕事を終えて帰宅した夕方。

買い物袋を片づけて、炊飯器のスイッチを入れる。

そこまでで十分な日もあるのだと、最近は思うようになりました。

焼き魚と味噌汁だけだった夜

少し前の夕飯は、焼き魚と味噌汁だけでした。

冷蔵庫にはきゅうりもありました。

豆腐も残っていました。

作ろうと思えば、あと一品くらいは簡単に作れたと思います。

でも、その日はやめました。

魚を焼いて。

味噌汁を温めて。

ごはんをよそう。

それだけ。

食卓に並べると少し寂しいかなと思いましたが、食べ始めるとそんなことはありませんでした。

むしろ、気持ちは落ち着いていました。

あと一品を作る時間が減ったぶん、夕飯の時間が早く始まったからかもしれません。

食べ終わったあとも、妙な疲れが残りませんでした。

最近よく飲んでいるお茶

夕飯のあとに温かいお茶を飲むことがあります。

急須を出す日もあれば、手軽なティーバッグの日もあります。

最近は香りの良いほうじ茶を飲むことが増えました。

食後にお茶を飲みながら座っていると、不思議と一日の終わりがゆっくりやってくる気がします。

以前は料理の品数を増やすことばかり考えていました。

でも今は、食後に少し座る時間のほうが大事になりました。

頑張って一品増やすより。

無理なく食卓を終えられるほうが、自分には合っているようです。

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👉 夕飯を考える時間が、いちばん疲れる

母の食卓を見ていて思うこと

母も以前ほどたくさんは食べません。

煮物が少し。

魚が少し。

味噌汁がある。

それだけの日もあります。

昔はもっと品数が並んでいた気がします。

でも今は、その日の体調や季節に合わせて食べているようです。

6月になると冷奴が増える。

そうめんの日も出てくる。

果物を切る日もある。

食卓は毎日変わらなく見えて、季節のほうが少しずつ変えてくれているのかもしれません。

だから最近は、一品足すことより、一品減らすことを選ぶ日があります。

そのほうが次の日も台所へ立ちやすいからです。

無理をしないほうが、長く続く。

そんなことを少しずつ覚えてきました。

まとめ

夕飯を一品減らしたら、続けやすくなりました。

豪華になったわけでもありません。

料理が上手になったわけでもない。

ただ、少しだけ頑張りすぎなくなった気がします。

明日の夕飯も、たぶん似たようなものです。

それでも季節は少しずつ変わっていきます。

冷奴が並ぶ日もあれば、そうめんの日もある。

来週もまた、一品少ない夕飯かもしれません。

でも今は、そのくらいがちょうどいいと思っています。

気づけば毎週、同じものを買っている

気づけば毎週、同じものを買っている|卵、豆腐、小松菜。いつもの食材が並ぶ初夏の暮らしのアイキャッチ画像

六月に入ると、トマトやきゅうりを買う回数が増えてきます。
大葉やみょうがも並び始めて、スーパーの売り場が少し夏らしくなっていました。

そんな中を歩いていて、ふと気づいたことがあります。

私は毎週、だいたい同じものを買っています。

特別な発見ではありません。

でも改めて買い物かごを見てみると、思った以上に変わっていませんでした。

気づけば、いつもの顔ぶれだった

卵。

豆腐。

納豆。

豆乳。

トマトやきゅうり。

買い物かごの中を見ると、先週とほとんど同じです。

新商品を見かけても、結局いつもの場所へ戻ってきます。

冒険が嫌いなわけではありません。

ただ、自然とそうなっていました。

献立より先に買っているものがある

夕飯の献立を決めてから買い物へ行くこともあります。

でも実際は、先に買うものの方が多いかもしれません。

卵がなくなりそう。

豆腐が欲しい。

納豆も買っておこう。

そんなふうに手が伸びていきます。

献立は後から考えるのに、買うものは先に決まっている。

少し不思議です。

季節だけは少しずつ入れ替わる

変わらないものもありますが、季節の野菜だけは少しずつ入れ替わります。

春は新玉ねぎ。

今の時期ならトマトやきゅうり。

もう少しすると枝豆やとうもろこしが並びます。

買い物かごの大半は変わらないのに、季節だけが少しずつ入れ替わっていく。

その変化を見るのは意外と好きです。

毎週同じでも飽きていない

昔は、毎週同じものを買うのは少しつまらないことだと思っていました。

でも今はそうでもありません。

冷蔵庫に卵がある。

納豆がある。

豆腐がある。

それだけで少し安心します。

特別ではないけれど、暮らしを支えているものなのだと思います。

関連記事:

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👉 そうめんを見ると夏が近いと思う

買い物かごを見ると分かることがある

買い物をしていると、自分の暮らしの癖が見えてきます。

毎週買うもの。

季節になると買うもの。

なんとなく手が伸びるもの。

スーパーを歩きながら、そんなことを考える日があります。

買い物は食材を買う時間でもありますが、暮らしを確認する時間でもあるのかもしれません。

毎週同じものを買っています。

卵や豆腐、納豆や豆乳。

季節の野菜は少し変わっても、いつもの顔ぶれはあまり変わりません。